学術映画『騎馬民族国家』(第3編) ![]()
合作 朝鮮科学教室映像撮影所
日本 株式会社 自由工房原作 江上波夫 監修 歴史研究所 院士教授博士 金錫亨 歴史研究所 教授 朱栄憲 歴史研究所 副教授 孫栄鐘 歴史研究所 準博士 曹喜勝 企画 文東建 美術 康甲沢 製作 工藤充 鄭花淳 金成山 音楽 林金和 桜井洋子 録音 康時現 台本 金順禎 照明 炎明天 責任演出 功勲芸術家 朴吉洙 演奏 映画放送音楽団 演出 成致國 現像 平壌フィルム現像所 撮影 功勲芸術家 鄭啓甲 協力 朝日興業株式会社 功勲芸術家 金明煥 アオイスタジオ 横浜シネマ現像所 日本語版製作 解説 草柳隆三 録音 瀧澤修
『この映画はなぜつくられたか』
東京大学名誉教授江上波夫氏の<騎馬民族征服王朝説>は、日本の学界、特に日本古代史研究の分野に、科学的方法を与えたことで決定的な影響を及ぼしました。そして、日本史家、東洋史家および西洋史家などに対して、騎馬民族そのものの、世界的立場と世界の諸文化の形成に果たした役割について啓蒙した功績は、非常に大きなものがあります。 しかし、我々にとって最も大きな収穫は、この学説によって、日本および日本人を東アジアの中の視野でとらえたということにあります。 日本古代史ならびに日本文化の起源については、従来、特に明治以降は「記紀」のもとづいて、きわめて独善的かつ権力に奉仕した史観により綴られてきたのですが、昭和にはいってからは、軍国主義教育が国是としてそれらを一段と強化し、国家権力により国民に押しつけたのが、いわゆる<皇国史観>であります。 戦後にいたって、再び表現を変えた皇国史観が展開され、それは日本の経済力の興隆と歩調を合わせて、いまや日本古代史としてとかれようとしています。 この歴史教育の洗礼をうけた日本人は、日本人は単一民族であると幻想し、日本文化は独自性を具有すると標榜してはばからない状態にあります。このことが東アジア諸民族との相互理解と協調に、決定的な妨げとなっていることは、いまや内外識者の等しく指摘するところです。 今日ここに江上教授の<騎馬民族征服王朝説>を映像により忠実に表現し、広く日本人に提供して、アジアの中の日本人の位置づけを行うとともに、東アジアそして世界の人々に、日本及び日本人に対する認識を是正する契機をつくるために、この映画は企画されました。そしてこの映画は東アジア諸民族の理解と協力を仰いで製作されなければならないと考えています。「騎馬民族国家」の映像化につきましては、1982年に江上教授により映画化のお許しをいただきました。 映画は中央公論社刊行の『騎馬民族国家』に準拠して構成し、各々約60分の独立した7編の作品として各国と合作します。1、スキタイ(旧ソビエト連邦) 2、匈奴と突厥(旧モンゴル人民共和国) 3、高句麗(朝鮮民主主義人民共和国) 4、新羅・百済・加羅(大韓民国) 5、鮮卑(中華人民共和国) 6、稲作農耕文化伝承の道(中華人民共和国) 7、騎馬民族による日本統一(日本) 全作品完成後に、約180分の「騎馬民族国家」を総集編としてまとめ、広く公開する予定です。 なお、1、スキタイ 2、匈奴と突厥 の日本語版を引き続き発売します。
『文東建氏について』工藤充
1986年、日本全国に展開された「高句麗文化展」は日朝両国民の相互理解に大きな成果を挙げました。その推進者であった文東建氏は、同時日本映画の企画者として江上波夫先生の指導と協力のもとに製作の指揮を開始されました。1917年、朝鮮慶尚南道の貧しい農家に長男として生を享けた文東建氏は、生きる糧を求めて、僅か13歳で単身日本に渡り、筆舌につくしがたい苦闘の末、29歳にして「三栄ゴム工業所」を創建し、実業家として大をなす基礎をつくりました。
同氏は日本社会の朝鮮人に対する差別と生活苦を克服しながら北神商業学校に学び在日朝鮮同胞の民族的自覚の確立に向けて運動を進めました。21歳、氏は「日本大学専門部商科」に入学。しかし間もなく治安維持法違反として当局は同氏を逮捕、3年6月に及ぶ拘置所生活を強いたのです。しかし学ぶことの重要性を識る文東建氏は30歳の時に「関西学院大学経済学部」2年に編入、同学を卒業されました。
朝鮮戦争の勃発を頂点として、在日朝鮮人はますます苦境に立たされるなか、同氏は強い祖国愛に燃え、広く各方面で献身的努力を惜しみませんでした。
文東建氏は日本人の朝鮮人に対する偏見と差別意識が、アジア史についての無知に因ること大であると考え、さきの「高句麗文化展」の開催となり、そしてここに映画「高句麗」の企画そして製作に到ったのであります。
日本と朝鮮半島において考古学的発見がうちつづく今日、日朝関係を古代史から解明する発送は、迂遠に見えてしかし、それは科学的で説得力にとんだ方法であり、同氏の卓見であると言わなければなりません。
1987年6月、文東建氏は映画の完成をご覧になることなく亡くなられました。われわれ製作を担当した者として自らの無力を恥じ、心からお詫び申し上げる次第です。
映画「高句麗」を1人でも多くの日本人、朝鮮人さらにアジアの人々、世界の国々で見てもらいたいと思っています。