安心して老いるために 日本映画ペンクラブ推薦
製作 工藤充 演出助手 佐藤和人 演出 羽田澄子 渡辺秀俊 撮影 西尾清 大沢寛行 録音 瀧澤修 藤江潔 ピアノ 高橋アキ 太田敏裕 美術 朝倉摂 ネガ編集 加納宗子 解説 喜多道枝 題字 本田進 作図 岡部リカ 解説 羽田澄子監督の前作「痴呆性老人の世界」は、痴呆性の人々が人間としての尊厳を持って、安らかに生きていくにはどうしたらよいかを描き、大きな社会的反響を呼び起こした。しかし、いつ、どこで年老いて動けなくなっても、よい介護を受けられる保障は殆どない。「安心して老いるために」では、生涯を安らかに生きていくために、いま何が必要とされているのか、岐阜県池田町の特別養護老人ホーム・サンビレッジ新生苑と、自治体である池田町の取り組みを通して追求した作品である。また福祉のあるべき姿を求めて、デンマーク、スウェーデン、オーストラリアの現状も合わせて紹介する。1990年の作品である。
内容
岐阜県池田町は濃尾平野の西北端にある人口約2万2千人(1990年当時)の比較的豊かな土地である。新しく町長になった久保田達男氏は、高齢者福祉の町づくり推進を掲げ「老人のケアシステムをすすめる会」を発足させた。理事には町の名士が名をつらねた
町には優れた介護を行っている特別養護老人ホーム・サンビレッジ新生苑があり、町のデイケアサービスも行っている。「すすめる会」は、まず新生苑の見学から始まった。
いくつかのイベントが行われた。「乗ってみよう車椅子」では住民と一緒に車椅子で町を歩いてみたが、老人福祉センターなどの公共施設には、入り口に段差があって入れなかった。
町に住む人々―病に倒れた妻の世話をする高齢者の夫、痴呆性老人の介護をするをする娘たち、一人暮らしの高齢者など、一人一人は多くの問題を抱えている。だが、子供や娘が親の面倒を見ると言う慣習が介護の困難さを覆い隠していまう。
半年が過ぎ、いくつかの催しが終わった。いくつもの発見があったが、具体的な動きにはどうしても結びつかない。
活動のイメージがつかめないでいる「すすめる会」のために、町長は中学生4人を含むデンマーク福祉研修団を組織し、8月の末、デンマークのカルンボー市に出発した。
カルンボー市の人口は、池田町とほぼ同じ約2万人である。老人18人に1人の割合でホームヘルパーが確保されており、デイセンター、ホームヘルパー、訪問看護婦、医師などが連携して、24時間態勢で高齢者の生活を支えている。
老人ホームがすべて個室であることに研修団は驚かされる。家からは家具が持ち込まれ、老人たちはかつての自分の部屋にいるかのように生活している。本人の意思で、住宅でも施設でも選ぶことが出来るようになっている。
カルンボー市の中学生との交流、社会福祉大臣との会見などが行われた。研修団は福祉は施すものではなく、助けを必要としている人には必要なだけ、社会が援助することなのだと知らされる。
一部の人たちはスウェーデンにも足を伸ばして、社会福祉のシステムにも接してきた。
一方、サンビレッジ新生苑は限られた条件の中で、老人の自立を目指して介護を精一杯行っている。ここでの介護の基本は、オーストラリアのバララット市の施設に学んだもので、毎年1人ずつ研修に行っている。
その施設の特徴は老年科アセスメントである。現場の医師や訪問看護婦などで作られたチームが、介護を必要とする老人の介護のレベル決定を行っている。
研修団が帰国した後も報告会が開かれたくらいで「ケアシステムをすすめる会」には目立った動きは何もなかった。が、福祉の現場に立つホームヘルパーや訪問看護婦といった女性たちが、以前あった「町づくり推進委員会」を復活させ、具体的に町の問題に取り組み始めた。
「老人のケアをすすめる会」がスタートして1年が過ぎた。目に見える成果は、有線放送による緊急通報装置の設置くらいだったが、目に見えない成果が町民の間に育ち、やがて実を結ぶことが期待される。「安心して老いるために」について 羽田澄子 ![]()
今までの私は1つの映画を作り上げると、そこでかかわっていた問題が、私にとって一区切りついたような気分になっていた。ところが「痴呆性老人」の世界は違っていた。それというのも「痴呆性老人の世界」の反響は予想もしない大きさであったからである。私は映画の上映とともに全国各地で話をしなければならなくなり、人々の反応にじかにふれることになった。そして多くの人が、さまざまな老人問題に困り、不安を抱えている状況を知ってこれは大変なことなのだと思うようになったのである。老人問題は一区切りつけられる問題ではなく、私を深みに引っ張りこんで行った。
人間の悲願であった長寿をようやく獲得したかに見えたとき、思わぬ落とし穴として現れたのが、老年期の痴呆だった。「痴呆性老人の世界」は私たちがこの問題をどのように受け止め、対処したらよいかを語った作品であった。この作品の上映の場で、私はたちまち次の壁が立ちはだかっていることに気づいたのである。映画が描いたような介護を、すべいての人が知ることがまずも最も基本である。しかし、その認識が普及すれば痴呆性老人の介護はもう大丈夫かと言えば、そうは行かないのである。よい介護はこうだといっても、それを保障する手だてが存在しないのである。よい病院、よい施設、よい家族に支えられた人は幸せである。しかし全体から見れば、そんな人は例外的な存在で、多くの老人とその家族が悲惨な経過をたどっていることになる。いろんなサービスがあるように見える。しかしそのサービスは確実にすべての人々に行き渡るようになっているだろうか、考えてみると「何時、何処で、呆けたり動けなくなったとしても適切な介護を受けられる」という保障や仕組みは日本にはないのである。
それでも、どこかに模範的な仕組みを作っているところはないか、その経験を他の地域にも拡げることは出来れば、とまず考えた。
私の質問に多くの専門家の方が教えてくださったのは、東京都武蔵野市だった。見学した私は「行政がこんなに努力している」と驚いたが、武蔵野市の老人福祉は、当時、老後福祉課長であった山本茂夫氏の執念の結果と言うことであった。さらにいくつかの特別養護老人ホームも見学した。その頃、特養の話題といえば「おむつの交換は定時がよいか、随時がよいか」というような論争が仕切りだった。しかし「施設が地域社会の老人福祉に対し、どんな役割を果たすべきか」といった視点はほとんど見当たらなかった。
私が思っていたのは、もし特養が努力すれば、地域に対してどれだけのことが出来るか。また、もし自治体がその気になれば、どれだけのことが出来るか。双方の努力が重なれば、介護サービスの相当程度のネットワークが出来るのではないか、と言うことだった。
特養については、岐阜県池田町にあるサンビレッジ新生苑を撮影することにした。町の真中にあって、開放的な施設のあり方に共感できたこと。施設長の石原さんがこだわりのない、ざっくばらんな話のできる人だったことによる。しかしここの自治体・池田町は別に福祉に熱心な町とはいえなかった。自治体の活動は武蔵野市で撮ろうかと思っていた。ところが池田町で新しく選出された久保田達男町長に会ったときに「池田町を福祉の町にしたい」と考えていることを知ったのである。それならと私は思い立った。町長が思い立ったとき、自治体はどう動くのか、何がどこまでできるのかを知りたい。池田町には武蔵野市の山本氏のような人がいなければ、何も出来ないのでは、他の地域はどうにもならないことになる。町長の率直な人柄も好ましかった。私は映画の舞台を全面的に池田町にすることにした。製作費は撮影の対象となる多くのお年寄りのことを思ったことと、何より私たちの自主性を保つために、理解ある人々からの借り入れによるものとした。
実は、当初この作品とは別に、北欧の福祉先進国の姿を紹介する作品を作りたいと私は思っていた。しかし日本の状況だけでは、老人福祉のあるべき姿、あるいは望ましい姿というのは見えにくい。北欧とオーストラリア、日本とを見比べることによって、日本だけでは見えなかったものが見えてくると考え、北欧もオーストラリアもを含めた1本の作品にした。
デンマークではカルンボー市で在宅ケアのシステムを、スウェーデンではリンシェービン市の一般的な老人福祉システムのほかに、ストールプリッカン集合住宅で、新しいコミュニティーのあり方を、さらにモタラ市で、先進的な試みである痴呆性老人のグループホームを取材している。
オーストラリアでは、行政がすべてを行っている北欧より状態が複雑になっているが、福祉に対する考えはよく似ていて、いろんな工夫がされている。その中で参考になると思われた老年科アセスメント・チームの働きを紹介することにした。
この作品で私が問いたいのは、どんなシステムを作れば私たちは救われるかということだった。北欧にもオーストラリアにも福祉行政を支えている確固とした理念があり、国により、自治体により違いがあっても、地域全体をカバーするシステムが存在している。撮っているさまざまな画面のバックに、それが感じられるのである。
しかし日本はどうだろう。池田町は何かをやろうとした。まずいろいろなイベントを企画し、実行した。しかしイベントを発展させ、システムを作り上げるといったことはほとんど出来なかった。撮影は1年間あまりだったが、大体こんな期間では、自治体は容易に動かない。動くには山本氏が存在しなければならないのである。
池田町を見ていると、紛れもない日本の姿そのものである。立派な建造物、さまざまなイベントはすぐできる。しかし人間性に則した柔軟なシステムを作るということは、ほとんど想像すら出来ないのである。日本人に共通した欠陥なのだろうか。私は失望したくないから「そんな筈はない、同じ人間なのだから、いつかは日本人も上手にシステムを作るようになる」と思っている。
ところで私は、映画という表現手段が、本当は苦手とする手段に取り組んだと思っている。システムといった構造的なものを語るのは、時間芸術であり情緒的である映画には向いていない。ところが一方で映像による表現には、言葉ではいかに精密に説明しても判りにくい構造を、一目で理解させてしまうと力もある。私はその力を信じてこの作品を構成した。
私はこれほどはっきりとした目的意識を持って、作品を作ったことがない。この作品の目的ははっきりしている。これを見て日本の老人福祉をどうしたらよいか「安心して老いるために」それぞれの立場で発言し、日本の福祉行政を変える行動をしてほしいということである。